DPC 03
DPCについて
特定機能病院に戻る。
この改革は、もともと大学病院の問題に端を発している。
当時の文書はいまや殆ど残っていないので、記憶を基にして書く。
まず、大学病院の医療とは何のためにやっているのかというかなり根源的なことが問題にされた。それも、何故、大学病院の医療費は並外れて高く、果たしてそれが合理的な医療費と言えるのかという角度が中心だった。
(年寄りの回顧談風になるのはご容赦願いたい)
大学病院の医療は、当然のことながら、他の病院とは異なる側面がある。
1.高度の医療を行う確率が高い。
2.教育研修のための医療を行う。
3.研究のための医療を行う。
1.はともかく、2.と3.の要素は、果たして、医療保険の支払として正当なものか否かということがいえる。
患者は治療してもらえればよい。教育や研究のためといっても、できれば余計な手間はかけて欲しくない。
保険料を負担する側の論理としては、教育や研究のための費用を治療費の名目で負担するのは、いかがなものかということになる。
当時の厚生省は、私立医科大学協会を中心とする大学病院側と協議する場を設け、どういう位置づけにすべきなのか議論を重ねた。
医科大学側の論理は、「三位一体」論。
上記の1.~3.を切り離せるはずはないではないかということが中心だ。
いまでも当時の文部省が当事者感覚に欠けていたことを思い出すとハラが立つ。
大学病院での医療に教育、研究の要素がないというわけにはいかない以上、大学側の応分負担をどのように取り扱うかについて真剣に議論すべきだった。
例えば、保険診療の枠内で医療を行う限り一定額が赤字となることとし、その赤字分を教育、研究費としてどのように負担するかという議論のやり方もあったはずだ。
繰り言はこの程度にして、結論をいえば、高度重装備の大学病院を「特定機能病院」という形でくくり、人、モノ、金についてキチンとした開示を行う。
高度医療という以上、そこで行われた医療そのものについて、チャント開示する。
商法、会社法の世界でいう透明性、公開性を担保することが結論となった。
大学病院医療の特殊性と大学病院というインフラが社会に必要な費用として受け入れられるためには、transparency をキーワードとして一応の決着をつけた。