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2010/06/08
博白 27
神頼み
よく神頼みをします。
バンコクには、霊験あらたかなところがあるという。
繁華街の真ん中にその場所がある。
先日の赤シャツ党(持たざるものの抗議集団といわれている)が集結したすぐ傍だ。
先日ある話を聞いた。
ある女性がこの神様のゴリヤクを信じ、現地に行ってお願いをした。
ここでのお願いは、できるだけ具体的であれねばならない。
で、次のようになる。
・生涯をともにできる伴侶をお願いします。
・姿形はほどほど(生理的に受け付けないものは除外)でよい。
・年齢が同じくらい。
・旅行が趣味。
・海外で働く可能性のある職についている。
帰国してしばらくすると、お願いの趣旨にかなう男性とめぐり合った。
ゴリヤクであるので、すぐ結婚した。
こんなに叶うのであれば、もう少しグレードを上げておけばよかったとは思ったらしいが。
上述の赤シャツ党の主張は、現政権は不当であるというもの。
どうやらバンコクの神様は、抽象的なものは苦手らしい。
役人をやっていた頃、一代で財をなした人物と会った。
彼との会話。
「角田さん、あなた神頼みをするでしょう。」
「はい。」
「いつも、頼んでばかりいません?」
「はい。」(はて、頼む以外に何かすることがあるかしらん。)
「でもね、神様も忙しい。いつも、お願いばかりされている。
だから、神様の前では、まず、これまでのことを感謝してみることも大切。お頼みの前に、これまでありがとうございましたと感謝して、厚かましながら、次のお願いをさせていただく。」
「フーン。」
医療の関係では、厚労省は、神頼みの対象のように思われることがある。
薬剤師会などとの会合では、「厚労省は次に何をしてくれるのでしょうか。」などという発言がある。
自らは、status-quoに安住し、問題克服、現状改善は役所がなんとかしてくれるという形。
感謝などいらないから、とりあえず何かやってみるということにはならないものか。
せめてバンコクの神様への要望のように、己と問題を知り、ほどほどの道筋を考え、それを後押ししてもらうといったことにならないのだろうか。
6年制や登録販売者の議論は、この世界では抽象的に語られることはあっても、その中味(仏にも魂が必要?)の具体性がマジメに議論されたことがなかったのではなかろうか。
世の中という神様は、6年制といった枠組みを実現してくれたかもしれないが、中味まで懇切丁寧にメンドーみることはしないと思う。
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