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医薬分業 09

点分業、面分業

かくして、目出度く、処方箋は院外に。

この処方箋の受け手が、「門前薬局」。

門前は、本来、門前町という場合に用いるもの。
広辞苑によると、「中世末期以来社寺の門前に形成された町。善光寺における長野」とある。

神社や寺にお参りする善男善女を対象として、飲食店、商店が門の前で町を作ることだ。
この言葉が語られ始めた頃、必ずしも肯定的な響きはなかった。

このコラムは、学生諸君にも読んでもらえればということから、字義解釈をやってしまうことはお許し願いたい。

学生さんたちと話していると、使用言語に相当のズレを感じる。
例えば、「太鼓持みたいなことをいう」というと、ポカンとされる。
「先生、それ何ですか。」
「じゃあ、幇間って、知ってるか。」
「法官ですか。」
といった具合になる。

太鼓持ちは、遊郭発祥の言葉であり、職業?だ。

そもそも遊郭というもの自体、古典落語といった世界にしか残っていない。

古い東宝映画の社長シリーズで、故三木のり平氏が、「パーっとやりましょ」といって、宴会をやるといった場面がある。
今、昭和の宴会スタイルをやっているところがあるだろうか。

で、「肯定的な響き」を感じるかどうかといわれると、学生さんはピンとこない。

門前薬局は、病院の傍にある。
病院と薬局が1対1の関係で存在する。
薬局側のビジネスは、病院から供給される処方箋の上に成り立つ。
流通業の論理では、まさに、門の前という立地が大切。
この対応関係をみて、「点」分業という。

病院の薬局でやっていたことが、その外に出る。

医療の世界は分かり難い。

某有名商社が薬局ビジネスを始めた頃、大量発注し、定時配送でいいのに、何故仕入れ単価を落としてくれないかとボヤイテいた。

病院の医薬品の購入は、少量かつ随時配送が原則。
これをみて、大量定時なのだから、コストが下がる筈。
だから安くして、と何度交渉してもダメだったという述懐。
「全く、日本語が通じない」とのこと。

こういう目でみると、中でやっていた(ハズ)のことが外に出ただけで、何故分業なのか、ということになる。

正確にいえば、病院外調剤ではないか。

ともあれ、これまで蚊帳の外だった薬局が調剤という本来の業務を取り戻した。

今の分業率をそのまま欧米と比較するのは釈然としない。
分業の英語的な表現は、 dispensed by the pharmacistであり、例えばアメリカでは、alwaysである。

面分業。

これでイメージが沸くなら、大した想像力だと思う。

現在、面分業という言葉が意味しているのは、薬局対複数医療機関。
点分業が1対1の対応関係であったこととの対比。

面分業の時代に入るという。
1つの薬局が複数の医療機関の処方箋を取り扱う。

一挙に飛躍するが、面分業というなら、質的な変化を期待したい。
できれば、今、「外」に出ることが少ない診療所の医薬品が外部化されることを望む。
特に、薬剤師のチェックを経ずして調剤されている診療所(開業医)関係のもの。

やや面倒な議論になるが、そのためには、次のようなことが前提もしくは同時に起こると可能だ。

一つは、病院のDPCと同様、診療所外来の世界にも大幅に定額制が取り入れられること。

次に、一見矛盾するが、病院外来を診療所に戻すこと。
いわゆるコンビニ受診が、病院勤務医の荒廃を招いたといった報道がある。
薬局がこのコンビニ受診の受け皿であるというのは少し情けない。

開業医が薬価差益に頼らざるを得ないといった状態をどう考えればいいだろうか。
開業医の下に病院の外来患者が戻り、医師は診療に集中し、調剤は薬局に任せるということでよいのではないか。

アメリカのようなrefillも検討に値すると思う。

主として慢性疾患は、病状に大きな変化がない限り、一定の投薬を続けざるを得ない。
であれば、直訳すれば、薬局での「再調剤」を認めてみてはいかがか。

ただ、これには、もう一つの条件整備がいる。
薬剤師の臨床教育。

6年制になったといっても、現在の薬学教育にはrefill を処理するだけのカリキュラムが存在するとは思えない。

疾病についての基礎知識、臨床経験があまりにも不十分。
化学物質教育かと見紛うばかり。

アメリカの臨床教育。

ジェネリックについてのFDAの不正を糾弾したことで著名なアンブローズ氏(メモリアルケアホスピタル、カリフォルニア)に伺ったことを記せば、次のようになる。
臨床教育現場では、医師のタマゴと薬剤師のタマゴがセットで教官から指導を受ける。
治療診断の場面では、教官の質問に対し、医師のタマゴが「10」答えられるとすれば、薬剤師のタマゴは「1~2」答えられる。
調剤の場面では、その逆で、薬剤師「10」なら、医師「1~2」といったように。

ここで大切なのは、お互いの領域についての理解度が「0」でないこと。

臨床現場でのこうした研修は臨床を標榜するなら、必須。
アメリカの薬科大学も往時は、薬学偏重に陥り、アメリカ社会の中でその存在自体の正当性が問題になった。

アンブローズ氏の出身大学であるUCSF(University of California San Francisco)薬学部は、こうした状況に真っ先に対応し、現在の臨床教育NO.1の地位を築いたとのこと。

面分業のために、何故こういう議論を長々するのか。

現在開業医が担っている機能のうち、調剤分野に関しては、薬剤師が一定の役割を果たすことが望ましいのではないかと考えるからだ。

今、医薬分業を進めるために、院外処方箋料という論理的には、不必要な上乗せ的な経費をかけ、医療機関に薬剤師がいるのに、医療機関の外の薬剤師に改めて人件費を支払うといったことは、単純にいえば、余計なコスト。

分業推進に伴い、こうした費用が数千億円の桁になっていることを考えると、分業推進というだけでは、勿体無い。

極端に言えば、内科開業医さんの肩代わり的機能をお願いしたい。
診断まで立ち入れといっているのではない。
症状の識別ができず、適切な投薬ができるのか、という疑問を捨てきれない。

「面分業の質的変化」としたのは、こうした変化を期待したいからだ。

ちなみに、薬局は、医療法上、初めて医療機関であることが明記された。

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