医薬品流通事情-日本とタイ 09
そろそろ、医療の分野に戻る。
医療を語る以上、その従事者、施設を概観する必要がある。
まず、病院。
日本でいえば、厚生労働省の統計をみていただこう(2009年版)
この統計に関しては、英語版がなく、当教室のタイからの研究員に英訳してもらったもの(翻訳責任は筆者が負います)。
タイでは病院とは基本的に国立病院。
病院は国王が設立し、国民に与えるものというそもそもの流れがあったようだ。
その他に、第二次大戦くらいまでは、日本でも病院といえば、官公立の比率が高かったように、国家社会全体として体力がない時期には、こうした社会インフラは公的なものの比率が高いという事情もあるようだ。
上記の表で、日本で言えば防衛省が63病院(約7000床)を持つということに違和感を覚える向きもあろう。
だが、よく思い起こしてみると、現在厚生労働省にある旧国立病院のかなりのルーツは旧海軍、旧陸軍病院だった。
第二次大戦の結果、陸海軍が解体され、その厚生省当時の厚生省の引揚援護局などに吸収される過程で、軍附属病院も厚生労働省の所管になった。
こうしたことがなければ、いまでも海軍病院などというものが残っていたかもしれない。
それにしても各官庁の病院というものがあるのは興味深い。
日本的にいえば、首相官邸病院はかなりユニークだと思う。
これとの対比でいえば、宮内庁病院もかなりユニーク。
一般に医療機関、特に保険医療機関は、「開放性」、だれでもいけるというのが原則。
この原則に従わないのは、日本では宮内庁病院。
皇族、宮内庁職員しか利用できない。
従って、保険医療機関ではない。
宮内庁長官官房により運営管理されている病院。
宮内庁職員の医療費については、おそらく国家公務員共済の医療保険部分を準用していると思われる。
役所時代、天皇陛下はどの医療保険が適用されるのかという議論をしたことがあった(青二才の頃ですが)。
選択肢は2つあり、一つは国家公務員共済、もう一つは国民健康保険。
正解は、無保険。
皇族は、宮内庁病院を利用するが各診療行為について費用の計算が行われないという仕組み。
この部分については、予算主義による運営をするほかない。
こうしたことを長々書いたのは、タイの医療費の考え方がこれによく似ていると思ったからだ(後述する)。
なお、タイの王族は、スリラート病院というタイで最古、敷地面積東南アジアno.1という施設を利用される。
予算主義による運営であり、宮内庁病院に似て、格別の医療行為に対する費用といった考え方は適用されないようだ。
公的病院と私的病院のバランスは、病院数で875対298、病床数で86,667対26,343。
病床数でみると、公的病院のシェアが80%。
日本の場合、公的病院のシェアは3割程度だから、公私の比率はほぼ逆。
病院の規模は平均すると、約100床。
日本の病院は単純に平均すると180床。
タイの病院は日本と比較すると比較的小規模だ。
例外的に大きいのは、日本で言えば文部省所管の大学病院で、平均570床というもの。
施設の絶対数は少ない。
日本の場合、人口10万対の病院病床数は、約1277。
これに対し、タイは、197。
日本と比べると6分の1の規模。
後述するが、これだけの医療インフラでユニヴァーサルカヴァレッジの医業費保障制度を始めた。
日本は、昭和36年(1961年)国民皆保険制度を始めた。
この当時の人口10万対の病床数は、約740。
それでも、3時間待ちの3分間診療(神風診療)といわれ、医療インフラが不十分なまま日本的ユニヴァーサルカヴァレッジを始めたことに対し、多くの批判があった。
今のタイは1961年の水準と比べても、絶対量が3分の1であり、サイクロン診療などということになる。
こうした日本の経緯を振り返ると、公的保険という形で医療にGNPを配分する仕組みを作り、民間主導型で医療施設を充実させていったといえる。
殊に、高度経済成長を背景に、公的医療保険という仕組みで医療インフラを整備していったといってよい。
患者が医療機関にいける仕組みを作れば、それなりに医療施設は充実するものであるともいえる。
ただ、繰り返すが、経済社会全体の伸びといった要素、社会資源の配分についての国民的コンセンサスといったものがなければ、大きな混乱を招くだけではないかと思える。