医薬品流通事情-日本とタイ 24
ようやく、NHSに入ります。
タイの国民皆保険はどのようにして始まったのか。
タイらしいといえば、タイらしい経緯で始まった。
国民全体のための医療費保障制度(Universal Coverage)という考え方はタイでも古くからあった。
これが現実的な提案となったのが1995年頃。
1996年、公衆衛生省(Ministry of Public Health)が法案の形で初めて具体化した。この法案は結局、陽の目を見ず一旦お蔵入りとなった。
1997年、改正憲法が公布され、5万人以上の署名があれば、国会へ直接法案を提出できることになった。
前に書いたように、タイでは、政権が変わると、憲法が変わり、その過程に何故か無血軍事クーデターがある。
ともあれ、憲法が変わって法案の直接提出権が出来たのだから行使しようというものとして,Universal Coverage法案が6万人以上の署名を集めて提出された。
憲法で保障された手続き。
直接議会へ持ち込めると思うのが自然。
タイというかアジアというか。
ブッシュ再選のときのフロリダ・カウントというか。
アメリカ最高裁までいって、recountが中止され、ブッシュが大統領になったといおうか。
すみません、日々の体調により、時折、与太ベースになることをお許し下さい。
6万人の署名。
この名前とサインを確認するという作業が延々と続く。
こうしているうちに、2001年1月の選挙戦に入る。
Thai Rak Thai Partyという政党がある。
(以下の記述は、タイの関係者との会話、アメリカ版wikipediaを参考にしています。)
この政党は、1998年7月にエレクトロニクス事業などで成功を収めたタクシン氏が政党登録して発足した。
いわゆるポピュリストの手法、よく言えば草の根主義、別の表現をすれば「人気取り」政策を掲げた。
この政党のターゲットは、up-country(バンコク以外の地域)の農民層、都市部の貧困層。
これらの人々は、1997年の経済危機で最もダメージを受け、その当時の政治からの疎外感を強く受けていた。
改正憲法下の2001年の選挙では、タクシン氏率いる政党は、その選挙戦略に従い、選挙戦を戦った。
今風にいえば、この政党のマニュフェストは次のとおり。
1.30バーツ政策
- 選挙のスローガンをそのまま書けば、
- “30-baht-treat-all-disease”というもの。
- 30バーツのエントリーフィーを払えば、それ以外の負担なしで医療機関の治療が受けられる。
- *タイの人々は、30バーツ政策とかUCシステムといった言い方をする。
- 最初の研究員との議論で最も意味のわからなかったもの。
- 散々書いたが、現在のインフラで、財政的裏づけもないままにこんなことができるわけがないというのが率直な印象。
2.農民に対する3年間のモラトリアム
- 経済危機の結果、負債を負った農民層に対する徳政令(債権放棄ではないので厳密には違いますが)といえる。
3.農村部に対する基金創設
タクシン党は、この選挙で、500議席のうち、248議席を獲得するという地滑り的な勝利を収めた。
当選者のうち、40%が新人議員であったということから、タクシン党の勝利の内容が窺える。
ついでに、少しこの後の政治的な経緯を記しておく。
医療政策もタイの政治過程により左右されるということだけはご理解願いたい。
タクシン氏は、この後、連立内閣を成立させ、500議席のうち、339議席を占める絶対多数の議会運営を行った。
2005年2月の選挙では、タクシン党は500議席のうち、6割を超える374議席を獲得。
後に無効とされた2006年4月の選挙では、野党側の選挙ボイコットもあり、500議席中460議席を獲得。
ここからの過程がタイの政治をよく表していると思う。
2006年9月、突如、軍事クーデターが起こる。
詳細は宮中のことゆえ定かではないらしいが、国王の推奨があり、軍部が政治をコントロールすることとなった。
この時期、タクシン党の幹部は海外に出ていた。
タクシン氏は国連総会に出席中など。
僅かに残った幹部は、「逮捕」されてしまう。
この後、タクシン党は憲法裁判所によって、違法とされ、解散となる。
この時期、タイに滞在していたことがある。
街を歩くと、黄色のシャツ一色という時期があった。
黄色は国王の誕生日の色で、この色を着用することは、国王への忠誠を示すことになる。
クーデターの時期では、この色を着ることによって、国王が擁護する軍事政権を支持し、政治的には反タクシンであることを表現することになる。
(因みに、別の時期に訪れると殆ど黄色は目立たない。)
上記のような混乱の中で、NHS(National Health Security, 別名UC)が導入された。
導入に際し、政治家でなければ、いえないような目標が掲げられた。
1.全てのタイ人に対する医療保障を達成する。
2.全てのタイ人に平等なサービスを提供する。
3.政策的、財政的、構造的に継続性をたんぽできるモデルとなる事業を行う。
医療というpracticalな分野だが、政治家にかかるとシラフではとても言えないこともサラリと流されてしまうのは、アジア的な特徴?
役人として実務的な立場ではあるけれど、敢えて「哲学を語れ」というのなら、かつて医療保険の抜本改正を行ったときの「負担の公平」、「給付の平等」といったところか(すんません、殆どの方に分からない昔の楽屋落ちです)。