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ジェネリック編 15

日本のジェネリック

日本のジェネリックは、結果として、7掛けルールから始まった。
医薬品メーカーとしてみれば、そのビジネスモデルの中に2つの大きな欠陥がある。
入り口と出口だ。
調達コストが高い「原末」と流通過程。

原末の議論は、先にしたので、ここでは流通過程について。
ジェネリック医薬品は、これまで原則として販社(販売会社)で売られてきた。
日本の医薬品流通過程の歴史を見ると、「流通再編」のコラムでも触れたように、かつて医薬品卸業は、1600社もあり、その殆どが有力企業の販売会社として機能していた。
流通再編の終わった今でも、タケダ系、三共系といった言葉が語られる。

例えば、今最大手のメディセオ・パルタックにしても、そのオリジンを辿れば、東京のタケダ系の販社であった。
現在メディセオ・パルタックの社長である熊倉氏は、山之内の有力な営業マンであり、その有能さゆえに、当時のクラヤにスカウトされた。
お話を伺うと、入社当時のクラヤは年商200億円、タケダ系の有力卸として、「関東制覇」を目指したとのこと。
この後、系列にとらわれないスズケンの動き、同じタケダ系である三星堂との競合といった背景があり、現在に至った。
*この経緯については、熊倉社長がインタビューの中で要領よく語られた。【リンク:ニュースレター】

卸が販社として機能したということとジェネリック企業が販社を通じて販売するということを比較してみる。
タケダ系のクラヤは、タケダの製品だけを取り扱ったわけではない。タケダが「フルライン」での商品供給ができなければ、タケダと競合しない他社の製品も扱うといった経緯を辿る。
これに対し、現段階でのジェネリックの販社は、原則として、大洋薬品の販社なら大洋、沢井製薬の販社なら沢井の製品しか取り扱わない。
ジェネリックの場合、理論的には「フルライン」供給が可能であり、現状が続くという可能性もないわけではない。
ただ、商品供給のポートフォリオということをキチンと考えるならば、最終的には、ピカ新抜きが決定的なネックになろう。

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